5月26日(水)

 

  今日は、親子クラス始まって3日目。朝早くから心を砕いて用意をしている知子さん。

 早朝にちあハウスに入り、私の入るころには、すでにおもちゃがそれぞれの子どもの

 ことを念じて心をこめて置かれています。おやつを作るための全ての食材が美しく楚々と

 テーブルに並べられています。あちこちに小さな花瓶に入念に形を整えられたお花が飾られて

 います。まるで野にあるように。外のアプローチを掃き清める音が響き、母が毎朝掃き清めて

 くれたほうきの音を思い出してしまいました。

  こうやって、温かな空間が作られて迎えられる子どもたちは、世界は温かな場所であると

 いうことを繰り返し繰り返し経験していくのだと感慨深くなります。口であれこれ言うわけではなく、

 行為によって学びを与えてくださる姿勢に頭が下がります。ちあハウスがかつてこれほど美しく

 すがすがしくなったことがあったでしょうか。

  保育が始まって、ひとりひとりの子どもたちが先週より確実に、一日のリズムになじみ

 より深くひとつひとつのことを集中して楽しんでいる姿が見られました。こちらの目を見て

 ほほえみかけ、応答をしようと働きかけてくる姿も見られて、みなが楽しい調和的な輪を作って

 いる様子に、主担の知子さんのはかりしれない配慮と保護者の方の応答と思い、そして何にも

 まして子どもたち自身の育ち行く力とそれを助ける大いなる力の働きにしみじみと感動を覚え

 ました。感動してばかりです。

 

 

  午後

   今日は、早めにちあハウスを出ましたが、まだまだ1時半には着くことができませんでした。

  2時半にセッションを開始するにはなるべく早く着かなくては・・・・。

  無味乾燥な会館の空間にひとりの子どもを迎えるためにはたっぷりとした時間が必要です。

  私のお茶の先生も、私が茶室に入るまでに2時間の時間をかけて用意しておられます。

  お菓子を選ぶのはもっと前に。季節や私の好みを考えて菓子店に足を運び、地方のものは

  発注をしています。床の間に生ける茶花も育てていらっしゃいます。その朝に咲いた一輪の

  花を生けておられます。贅沢なお花はありませんが、質素な茶室の壁面に季節のお花が

  そっと咲いています。野にあるように。

   この先生も、お茶を9年も学んでいる間、一度もご自分の用意について詳しく語られた

  ことはありません。ただ、その姿勢が伝わってきて、ありがたさに頭が下がるのみです。

   心を尽くして待つからこそ魂の充足した時間が生まれるのかもしれません。

  行動が遅く器用さの少ない私は、さらにさらに学び続けなければなりません。

 

                                               (ちあこ)