7月3日(土)

 

 

   七夕を前にして、土曜日親子の集いで七夕まつりを開催しました。

  上原幸子さんにリードしていただき、スタッフと保護者の運営委員のみなさんが討議して

  して準備をしてくださいました。事務局長の私が一番散漫でご迷惑をおかけしました。

  ひとりひとりのご尽力の素晴らしいお働きのおかげで素晴らしい一日となりました。

 

   雨の降る中、13家族・17人の子どもたちが参加して、羊毛ボール・トランスパレントスター

  リス(木工)作りに熱中し、また、おなじみ眺野さんのマクロビオテイックおやつの素敵さに

  感動しつつ、子どもと一緒に家族交流を楽しみました。

   最後には、上原幸子さん監修の七夕の人形劇を行いました。長い間集中してお話に

  耳を傾けることができるように成長した子どもたちが多くありました。ひとりひとりの

  子どもに働く力の偉大さに感慨深く思います。

   そして、七夕の歌をライアーで弾きますと、みなで歌を歌うことができまして、最後に 

  みなで一緒のさよならのときをすごし、七夕の日に晴れていますようにと天を思いました。

 

   スタッフやボランテイアのかたがたが、必要な場所に入ってくださり、いいお働きを

  してくださり、笹飾りをみんなでして願い事をしたためた短冊を吊るしました。最近は

  笹さえ販売することがなくなったようで、花やを何件も回っても「もう売らないんだよ。」 

  というお店もありびっくりしました。ご好意で大きい笹を何本も冷蔵庫に入れていて

  くださるお店があって助かりました。庄内はまだまだ人情が残っている下町で、

  いつもいつも、町中の方々のほっとするような温かく飾り気のないやさしさに救われます。

   「ここは娘と私の居場所のようなところです。」と保護者の方がかけてくださったことが

  しんみりと心に響きました。ここに来ると感じる。ちょっと違う場所。なんだか懐かしい場所

  心癒される場所。そんな場所を作りたいと思いつつきました。いろんな方が関わってくださり

  整えてくださり、思いをこめてくださって、そのような言葉をいただける場になっていると

  思います。みなさまにひたすら感謝しています。

  

  レインボーサークルは、 日ごろプロジェクごとに別に活動しているのですが、いつか

  年に1度や2度は「フェステイバル」をして一緒に働き出会い、交流できるような日が

  つくりだせるといいなと思ってきました。開設6年目にして、今回の七夕の集いでは

  少しばかりその萌芽が見えたような気がしました。

 

   この七夕まつりでは、スタッフのボランテイアはプロジェクト運営委員を超えて

  他のプロジェクトの方々が集い、一緒に働くことができ、親交を深めました。

  来てくださったご家族も、子どもを中心に出会い親交を深め、さらにご興味を

  持っていただけたようです。自分のこと以外に関心を向けることが少ない現代と

  いう時代に、他者性に出会い、他者への関心を示し、他者の行うことへの興味を

  抱き合えるというような出会いがあるのは素敵なことだと思います。

 

   本当に他者と出会うとき、今までの自己が新しく変わっていかざるを得ないです。

  それは一見不快な体験にもなりえます。他者性を認めていくプロセスは自分をいったん

  壊して作り直すような作業を求められることもあります。しかし、同時に、新しいエネルギーを

  得ることも起こります。自己との葛藤を乗り越えて新しい自己を創りだすような生みの苦闘も

  あるのかもしれません。フェステイバルでは、そのような創造が序破急と急ぐ「能」の

  舞台のような展開で起こることもあります。非日常の聖なるエネルギーのなせるわざかも

  しれません。

 

   こういうフェステイバルという「非日常」の「聖」なる時空を創るとき、今後への大事な

  出会いやヒントやインスピレーションがもたらされると思えます。多忙な日常の中で

  集中力も洞察力も枯渇しかけそうになるのを防ぐ営みはこのような活動ではないかと

  思うのです。治療教育コミュニテイのフェステイバルに参加したとき、主催者が言った

  言葉は私の基底部に響き続けています。

   「フェステイバルごとに新しい人がやってきて、コミュニテイは成長した。

   フェステイバルの際に泉のようなエネルギーが満たされてコミュニテイは大きくなった。

   フェステイバルは私たちの活動の中核である。」という言葉が。

    古来、まつりとはそういう「聖」なるもの。私たちの日常を支えるのはそういう一日では

   ないかと思いつつ。しかし、こつこつとした日常をいかに創るかということも一方で 

   おろそかにしてはいけないと肝に命じつつ。

    そのようなことを真剣に考えることができるのも、大人の目の前に現れてくれた

   子どもたちのおかげです。その背後に働く大いなる力への感謝とともに念じます。

 

                                               (ちあこ)